お江戸パラレル



弐。



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 昼、コージは赤玉屋の裏口の前に立っていた。
 第一印象はでかい、次に思ったことは広いだった。そしてそれは一度中を案内され、さらに外に出て敷地を一回りしてみた後でも変わらない。
出入口以外の場所は高い壁が長く続き、中からは母屋の他、離れや倉の屋根が覗いている。
大通りからは少し離れた場所に立っているとはいえ、武家屋敷にも劣らぬ門構えである。
「金はあるところにはある、か…」
 かなりあくどい事もしていると評判の店だ。そのせいで首を吊ることになった貧乏人も数多いとか。後ろ暗い金も多々あることだろう。
町人だけでなく武士にも金を貸していて、店主や番頭に頭が上がらない役人も多いと聞く。
「真面目に働くのが阿呆くさくなるのぉ…ん?」
呟き、中に戻ろうとして、視界の隅に変な固まりがあることに気が付いた。


「っかーっっ!頭にくんなぁあの番頭!!」
「役人なめてっとしか思えねぇべ!!」
「しかもアイツの頭に刺さってたかんざし、明らかに御禁制モンじゃねぇか!」
「…ヌシらぁ何しとんじゃ」
「「ひょわぁっ!?」」
 コージが声をかけると、変な固まりは奇声をあげて振り向いた。見たところ、武士と火消しの二人組である。
怪しくはないが不可思議な組み合わせだ。
「この店ぁ今ピリピリしちょるけえ、近寄らんほうがええぞ」
 とりあえず変な二人組と判断し、この場から去るように促すと、逆に二人とも食い付いてくる。
「それだべ!!予告されたんならなしてオラたちに訴えねえ!?挙げ句に関わるなったぁどーいう料簡なんだべ!!」
「もしかしてお前、この店の用心棒か?」
「お、おお。そうじゃが…」
 勢いに押されて思わず頷くと、武士が瞳を輝かせて歪んだ笑みを見せた。
「こりゃぁ丁度いい!テメェ見たとこ新参の雇われだろ!協力しやがれ!!」


 シンタローと名乗った黒髪の武士と、ミヤギと名乗った金髪の火消しの話では、お上も鼠を捕らえたがっているということだった。
しかし、過去に鼠に狙われた店の大半は訴えをだしていない。
何故かといえば、鼠が盗みに入るのが、叩けば埃の出るような店ばかりだからである。今回の赤玉屋でもそれは同じであった。
「鼠の方でそーゆー店ばっか狙ってんだよな。義族のつもりかはしらねぇが、どっちにしろ足は付きにくい」
「店を探れるのは好都合だけんども、オラたちとしちゃぁいっそ鼠と店の両方ともお縄さつけちまいてえんだべ」

 二人の話を聞きながら、昨日の夜、リキッドに聞かされたことを思い出す。
 鼠小僧は悪人から盗み善人を助ける義賊であると。
 例えば犯罪を起こした者達がいるとする。鼠は彼らの隠す証拠を探し、お上の目につくように暴き、それを世間に知らしめる。
 例えば法外な利子をとる金貸しがいるとする。鼠は借金証文を破いて屋根から撒き散らす。
 それらの仕事をした後で、余裕があれば金を盗み、しかもその金すらも何らかのかたちで貧乏人に流す。
 さらに毎回狙った店と瓦版屋、たまに十手持ちにも犯行予告をし、万一仕事を失敗したとしても、その店にお上の手が入るような細工をしている。

「庶民にとっちゃぁお上以上に身近かでありがたい存在じゃろう。捕らえてえーんか?」
「そんだけ江戸を騒がしてんだ。このままほっといたらお上の威厳に傷が付く」
威厳を守るために人気を無くすのかと問えば、そのほうがましだと言う。
「捕らえりゃあお奉行様達がどーにでもしてくれるべ。立派な方々だ、庶民の意見は反映される」
 現在、北町奉行も南町奉行も幕府始まって以来の名奉行と褒めそやされている。どちらにあたっても巧く裁かれるだろうということか。
シンタローとミヤギの言い分ももっともで、コージには反論する意見も必要もない。
「で、わしは何をすればええ?」

 暫く後、他の浪人に呼ばれてコージは屋敷の中へと戻り、それを物陰から確認して、シンタローとミヤギはその場を立ち去った。







「いやー、それにしても助かったぜ、新入りが来て!おいシンパチ、今度からこいつパシれよ」
 「何言ってんのハジメちゃん、コージくんにそんなことしたら可哀想じゃない」
 「テメッ、オレは可哀想じゃねぇのかよ!?」
 「うん」
 「……………ッ!!!」
  コージを部屋へと連れてきた用心棒が、既に居座って茶を飲んでいた者と会話をはずませる横で、コージは飯はまだかなどと考えていた。
 鼠小僧の来る日にちは決まっている。これまで何度もそうしてきたように、予告した日を違える事無く忍ぶのだろう。
今回、それは五日後だ。
 それまでの雇われ用心棒の仕事といえば、屋敷から野次馬や役人を遠ざけることである。
番頭曰く、あれだけ世間を騒がす鼠が今日まで捕まらないのは役人とつ るんでいるからだとか。
実際のところ、単に役人が邪魔なだけなのだろうが、コージにとっては金さえもらえればあとは関係ないことだ。

 ただ、暇なことだけは確かなわけで、コージは座敷を後にした。
長い廊下をあてもなく歩き、客間からの会話を耳にして襖の前で足を止める。
 「あなたが噂のお人だったとは」
 「いや、僕はそがぁにたいそうなもんでは…」
 「遠慮せずともよいでしょう。あなたの細工は素晴らしいと、あの店からも聞いています」
 「はぁ…ありがとうございます」
 「…トットリ!?」
 すぱぁんっ!!!
 部屋から漏れ聞こえた声、その中に馴染みのある声を耳にして思わず声を上げれば、音を立てて襖が開く。
 眼前には屋敷の奉公人頭のつり気味の目と四方に跳ねた黒髪が、奥には店主と番頭、更に見知った飾職人の姿があった。

 聞けば先日、トットリが眩暈をおこしてへたっていたとき、この屋敷で介抱して貰ったのだという。
カンザシをどういった造形にするかと悩み、あまり寝ていな かったらしい。
ちょうど店の近くで蹲っていて、奉公人の一人が見つけて屋敷に入れたそうだ。
「後日、わざわざ挨拶にもいらっしゃいました。礼儀正しい方です」
「あれは律儀な奴じゃからのぉ」
 同じ長屋に住むようになってからそう短くもない時が経つが、トットリが約束のたぐいを破るところを見たことが無い。
普段仲の悪いアラシヤマ相手にすらだ。
礼儀も正しく愛想もよく、近所からの評判も上々。
 そう言えば、山崎はそうですかと答える。若干その肩から力が抜けた気がした。
 当のトットリはというと、店主と番頭に詰め寄られてへどもどしている。
どうやら店主が豪華なカンザシを所望し、トットリがなんとか断ろうとしているよう だ。
番頭が利用している大店が、質の良い飾りを作る職人としてトットリを紹介したらしい。
 派手なものは作らないと聞いていながら尚、なんとかカンザシを拵えてもら えないかとその飾職人を尋ねてびっくり、顔見知りだったというわけだ。
 番頭の方は一度コージを用心棒にしたいと長屋を訪ねているのだが、その時トットリは 差配の部屋の外で話を聞いたため、気付かなかったという。
 店主と番頭、二人揃って、これも何かの縁だとしきりにトットリを口説こうとしている。

「ちゅーても、豪華なカンザシなんぞ…」
 番頭は髪に見事な玉のついたカンザシを刺しているが、それも本来なら御禁制でしょっぴかれるべきものである。
そして番屋に連れていかれる人間は、御禁制の 品の持ち主だけでなく作り主も含むのだ。
「ええ。正直トットリさんにはご迷惑なだけかと…旦那さまの我儘もいい加減にしてほしいものです」
 呟いたコージの横で、山崎も眉をひそめる。
どうやら店主には普段から手を焼いているらしかった。


  半刻ほどして、店主が諦めることで話はついた。
「残念だけれど仕方がない。…ご迷惑をおかけしました」
「いえ、こちらこそご期待にそえず申し訳ないです」
 山崎がトットリを長屋まで送るということで、コージはその二人を店の外まで見送った。
 店内では番頭と店主が話をしている。
「残念でしたね、山南さん」
「そうだねぇ。あの人に送るものは何としても最高の品にしたいのだけれど」
「私にお任せください。必ずや腕のいい職人を捜し出します」
「頼むよ、カシタローくん」
  全く、呑気なものである。
  コージはその会話を聞きながら、カラコロと下駄を鳴らすトットリの後ろ姿に、何処か違和感のようなものを感じたのだった。






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