お江戸パラレル



参。



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 それから三日が何事もなく過ぎた。
この三日間、コージは毎朝早くに欠伸を噛み殺しながら木戸の外に出る。
このまま少し抜け出してリキッドの店まで行くのだ。
赤玉屋で出される飯も美味いのだが、いかんせん量が少ない。最初は文句を言った店や用心棒仲間も、コージの食いっぷりを見てからは何も言わなくなった。
少し歩くが美味い飯を安く食うためには仕方ない。なにより、赤玉屋から離れることも目的のひとつだ。

「リキッドー、飯くれー」
「あぁ、いらっしゃい。シンタローさんが奥にいますよ。そっちに持っていきますね」
「おお、頼む」
リキッドの言ったとおり、店の奥にはシンタローが居た。不機嫌な顔で酒を飲んでいたがコージを見て片手をあげる。
「どうだ。何かあったか?」
「いや、平和なもんじゃ」
雇われちょるワシが申し訳なくなる程にな、と付け足しながら、シンタローの向かいの席に腰掛ける。
 シンタローとミヤギに協力を求められてからというもの、コージは仕事がてらそれとなく赤玉屋周辺を探っているが、怪しい人間など見なかった。
逆に、赤玉屋 の番頭が借金の水増し請求や不正な取り立てなどの幼稚なうえにあくどい犯罪を行なっていることはばっちりと見ているのだが。
 他の用心棒達もそれを知ってか、全体的にやる気が無い。赤玉屋の主である山南は鼠に興味すらないらしく、張り切っているのは番頭であるカシタローという 男だ けだった。
「カシタローか…得体の知れねぇ野郎だよなぁ」
「赤玉屋は今の番頭さんになってから評判が落ちたんですよね」
「リキッドてめぇ誰に断って話に参加してやがんだ?」
「おぉ!今日はシジミ飯か!!」
 料理を運んできたリキッドをシンタローが追い返し、置かれた料理にコージが歓声をあげる。
 リキッドが店の奥に引っ込んだことを確認してから、シンタローが再度口を開いた。
「番頭か…そういやアイツのカンザシも出所が分からねぇんだよなぁ…トットリも林屋も知らねぇの一点張りだ」
「んぐっげっふぉは!」
飄々とした台詞に、思わずむせるコージを無視し、シンタローは続ける。
「最近赤玉屋に出入りした奴くれぇ、オメーの話を聞かなくったって分かってんだよ。そもそも、お上が取り締まるのぁ、鼠だけじゃねぇんだ」
 コージは、先日トットリが赤玉屋に呼ばれたことはシンタローにもミヤギにも伝えていなかった。
 あの飾職人は、断ったとはいえ、赤玉屋に関わりを持ってしまったのだ。
知られればお上の手が伸びることは当前だし、それは取引先である林屋にもいくだろ う。
例え痛くない腹だとしても、職人としての評判や信用は落ちる。その日暮しの町人にとっては、それはそのまま生死を賭けた大問題ともなりうるのだ。
 火盗改めなめんなよ?と付け足しながら半眼で笑う得体の知れない武士に、コージは初めて警戒心を持った。
「…じゃが、アイツは断わっとったぞ。関係は」
「無くはねぇよ。あの番頭は林屋の客だ。職人は林屋と繋がりがあるやつに違えねえ」
「ほぉじゃが…トットリは」
「まぁアイツは違うんだろうな。派手な細工を作るのは苦手だっつうし」
 ふん、とつまらなそうにため息をついて、シンタローは言う。ならば何故今そのことを蒸し返すのか。
自然と険しい顔つきになるコージを眺めながら、シンタローはこう結んだ。
「直接の製造者じゃなくたって、知ってて誰かを庇ってるってことも考えられるんだよ」




 ミヤギはトットリの住む長屋を尋ねていた。別にトットリを調べるためではない。ただ純粋に話をしたいと思ったからだ。
 長屋の入り口から敷地を覗くと、井戸のまわりに人が集まっている。
何事かと少し驚きながら多少近づけば、中心にいるのは目当てであるトットリとその隣人だった。
二人を囲むようにして、差配その他長屋の住人が疎らな円を組んでいる。…怯えているのだ、中央の二人に。
「だけぇ僕のフンドシ勝手に雑巾にすんなって言っちょーが!!」
「すんまへんなぁーあんまり汚かったさかい、てっきりタダのボロ布かと思いましたわ」
「ざっけんなや!立派な嫌がらせだらぁ!?ボロ布やったらコージの使えばいいんだっちゃ!!」
「冗談やめておくれやす!あないな近づくだけで目に染みるもん触れへんわ!!」
  ゴッッッッ……………!!!!
「…何だべ、あれ」 
 ただの喧嘩にしては殺気が漲りすぎているが、それを除けば口喧嘩である。
しかも呆れるほどにくだらなく、更に当の二人よりも、顔見知りである浪人に同情を 感じる内容だ。
 呆れていると、ミヤギに気付いた差配が挨拶をしてきた。長屋を訪ねた目的を察したようで、もうじき終わりますので、と言う。おそらく喧嘩のことだろう。
「二人とも普段はいい子なんですけれど…」
 申し訳なさそうに呟く差配に、今日は役目で来たわけではないからと断りながら、トットリの部屋へと上がらせてもらう。
只の愛想の好い青年かと思えば、そうでもな いらしい。ぼうとしながら暫らく待つと、外が少し静かになった。喧嘩はミヤギが覚悟したよりも早く終わったようだ。

「お上についてどう思うか…?」
「んだ。オラたち火消しは町場に住んでるっつーても町人の暮らしを詳しくしっとるわけでねぇからな」
 ミヤギは純粋に疑問に思っていた。
 なぜ鼠小僧が町民達にあそこまで評判なのか。
あくどい商人相手だとしても、それだけでは盗人の人気の理由として心許ない。純粋に娯楽が少ないだけかとも思うが、不思議なのだ。
 鼠は今や幕府以上に世間に影響を与えている。一体何がそうさせるのか。お上に対する不満がそうさせているのであれば今のままではいられない。
と言っても、一介の町民が役人相手に正直なことをすんなりと話すわけもなく、今日はお役目ではなく遊びにきただけなのだと、だから雑談と思って話してくれ と頼み込み、ようやくトットリの口を割らせることができた。
「僕ぁ鼠のことはよう知らんけ、関係あるかはわからんけども…倹約令、が。ちぃとばかし…」
 言いにくそうに後半をぼかすトットリに、やはりかと思いながらミヤギは渋い顔をする。
「だども、あれは財政をよくするために仕方なく…!」
「うん、それはわかっちょー。今の将軍様達がよぉやってくださっちょーのは皆知っとる。…だけぇ、やっぱり何も言えん」
「……?」
「今の将軍様は凄いお人だっちゃ。平均的に見てみれば、暮らしは楽になっとる。文句なんぞ言えんわいや」
 軽く笑いながら、それでも突き放したようにトットリは言い切った。
 人好きのする笑顔を浮かべながらも、しかし決してそれ以上には喋らないという意志を感じさせる目をしている。
これ以上は粘っても無駄だろう。ミヤギは潔く諦めて別の話題を選ぶことにした。




 夜、コージは奉公人の山崎と共に夜鳴蕎麦をすすっていた。
 夜鳴蕎麦と言っても一風変わっていて、褌の青年とブタがやっている屋台である。当然のように麺も汁も変わっているが、たまに無性に食いたくなる味なの だ。
飲んだ後や小腹がすいた時などにコージとトットリがよく利用する店だが、赤玉屋とコージの長屋との中間辺りで商いをしている所為か、赤玉屋の面々もたまに 来ているそうだ。
リキッドの店と同様ツケはかなり貯まっていたが、今夜は山崎が奢るということだったので、青年もブタも快く腕をふるってくれた。
 食べ始めてからは無言だったが、麺を粗方食い終わったところでコージが切りだした。
「−で、何の用なんじゃ?店じゃ話せんっちゅうけぇ、こげんとこまで来たわけじゃが」
「そうですね、此処でならば平気でしょう」
 朝、赤玉屋へ帰って直ぐに山崎に声をかけられた時は、火盗改めに協力していることがばれたのかと大層焦ったが、ただ夜に外で話がしたいということだっ た。
ただふらふらするのも何なので、どうでもいいような話をしながらこの店までやってきたのである。
 山崎は汁をすするのを止め、ただでさえ読みにくい表情を崩さずに言った。
「コージさんは、赤玉屋と鼠小僧、どちらの味方ですか?」
「…は?」
 眉をしかめ、怪訝な表情で返せば、再度同じ質問をされる。
「そりゃ赤玉屋じゃろう。わしゃ雇われ用心棒じゃぞ?」
「そうですか。ありがとうございます。では、お上と町人、どちらの味方ですか?」
「言うちょる意味がよお分からんのじゃが?」
「お上と町人、どちらの味方ですか?」
 どうやらこちらの質問に答える気はないらしい。つべこべ言わずに答えろということか。
「…町人じゃな。所詮わしもその一人じゃけえのお」
「では、お上と鼠小僧、どちらの味方ですか?」
「…む。どちらでもない、かのぉ?」
 鼠小僧について、コージはよく知らない。盗人なのだから悪人とも思えるが、リキッドたちの話を聞く限り、簡単にそうとは言えないようだ。
なにより、町人にとっては結構ありがたがられているというではないか。
どちらにせよ、今の状況では何とも答えられないのだが。
 少し悩んで答えたコージに、山崎は軽く微笑みながらまた質問をする。
「少し正直すぎると言われたことありませんか」
「そりゃぁ今聞くことなんか…?」

その後も夜鳴の青年が店を閉めるまで、延々と山崎の質問は続いた。
 町人と赤玉屋どちらの味方か。
 赤玉屋とお上どちらの味方か。
 それはカンザシの件でも変わらないか。
 山南は馬鹿だと思わないか。
 カシタローは好きか。
最後はただの雑談と仕事の愚痴になっていた気がするが。
 次々に繰り出される質問にはいちいち律儀に答えてみたが、それが結局何のためだったのかはわからない。
ただ、山崎はコージの答えに満足したようだった。

 赤玉屋に着き、それぞれの部屋へと別れるとき、山崎はやはり表情を崩さずにコージへ声をかけた。
「今夜のことは火盗改めの方々には内密にお願いします」
 ひく、と頬を引きつらせるコージを尻目に山崎は廊下を歩いていく。
「…すべて承知の上で、とはのぉ」
 厄介は鼠と火盗だけではないようである。





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